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2005年04月21日(母)
風邪か、ぐらぐらします。幼い頃に自己流お百度参りをした事があります。夕刻の閑散とした近所の神社にて、誰にも見られず、百回お参りし祈願しました。家業で二輪店をしているのですが、その店で小火騒ぎが起こり母親が煙にまかれ入院した際です。はっきりとは覚えてませんが、8歳の頃だと思います。この後、祈ったところで何も変わらないと知るまで数年かかります。
2005年04月17日(父)
横浜の成城石井にてHavana Clubを購入。ラムを買うのは初めてだったので色々迷いました。ストレートでも美味しいです。ラベルにはメダルと女性像が記されております。女性像は「ヒラルディア」と言い、ハバナ港の入り口にあるブロンズ像の事。フロリダに不死の泉を求めて旅立った提督を待ち続けた夫人の物語がモチーフに為っているそうです。アルコール度数は40度(750ml)です。今回購入した7年物は100年前からある地下貯蔵庫で熟成されたプレミアム品らしいです。その割には安かった。本当の話なのだろうか。
2005年04月10日(父)
今この所を過ぎむとする時閉ざしたる寺門の扉に依りて声を呑みつつ泣く一人の少女あるを見たり年は十六七なるべしかむりし巾を漏れたる髪の色は薄きこがね色にて着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず我が足音に驚かされて顧みたる面余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらずこの青く清らにて物問ひたげに憂ひを含める目の半ば露を宿せる長きまつげに覆はれたるは何故に一顧したるのみにて用心深き我が心の底までは徹したるか彼ははからぬ深き嘆きに遭ひて前後を顧みるいとまなくここに立ちて泣くにや我が臆病なる心は憐憫の情にうち勝たれて余は覚えずそばに寄り「何故に泣きたまふか所に係累なき外人はかへりて力を貸しやすきこともあらむ」と言ひかけたるが我れながら我が大胆なるにあきれたり彼は驚きて我が黄なる面をうちまもりしが我が真率なる心や色に現れたりけむ「君はよき人なりと見ゆ彼のごとくむごくはあらじまた我が母のごとく」しばし涸れたる涙の泉はまたあふれて愛らしき頬を流れ落つ「我を救ひたまへ君我が恥なき人とならむを母は我が彼のことばに従はねばとて我を打ちき父は死にたり明日は葬らではかなはぬに家に一銭の貯へだになし」あとは欷歔の声のみ我が眼はこのうつ向きたる少女の震ふ項にのみ注がれたり
2005年04月04日(父)
早朝6時過ぎの横浜駅、電車の扉が開いた瞬間に駆け出すスーツ姿の中年男性。華麗なステップで階段を下る。真似をするもどうしても足音がしてしまう。あの滑らかさを出すにはまだまだ修行が必要な模様です。あたしにはまだまだ無理です。あれはきっと、極致なのです。