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2005年01月30日(母)
今我々が口にしている肉の代わりに人肉を食べてはならない理由など無いのに、食人という言葉を聞いた時どうして嫌悪感を覚えるのか。最近の研究結果、人脳を食べる事によってのみ感染するプリオン病に対する免疫を人類の多くが保持していると言う事実が明らかになったそうです。あぁなるほど。思い出したくない過去の事実だからこそ嫌悪感を覚えるのですね。「人類の多くが」と言う部分も重要です。あたしはいったいどちらなのでしょう。嫌悪感を覚えると言う事は、どちらも何も無いのかも知れませんが。救い等求める事はありませんが、どうして現実はいつもこう過酷なのでしょう。ダイエットしたい時はこの話を想い出しましょう。効果抜群です。 煉獄
2005年01月26日(母)
体調快復。「事故の起きた回転ドアはまだ試作品だった」そうなので怖いものです。世の中に満ち溢れているあらゆるものに完成品は存在しないでしょう。 薬缶
2005年01月22日(母)
激しく体調不良。腸に異変の兆しあり。 悪寒
2005年01月18日(父)
『人類は何処にも向かっていない』『幸せの総量は決まっている』『1+1=2』『何を成し遂げ様とも不安は永遠に解消されない』『違いがある様に見えるのは光のせいだ』『目を瞑った状態こそ人そのもの』『未来と過去は言葉にしか過ぎない』『恋愛と愛情の違いは手で表現出来る』『自分で見たもの以外は空想にしか過ぎない』『情報過多は自惚れを増加させる』『よく見れば見るほど人の姿は霞んで来る』『意識はある様でない』『人生は選択肢の積み重ねだ』『人と人は繋がっていない』『砂と石は分り易い』『忘れる事が苦痛だ』『夢は見てるようで見ていない』『嘘は想い込みに過ぎない』『笑顔は泡のようなもの』『信用と信頼と偽善と怠慢』 細波
2005年01月16日(母)
アマデウスを次の休みに借りて観ます。今度で3度目になりますがまた何か違った事を感じ取れるかも知れません。いつまでも好きでいれたら素晴らしい事だと思います。寒いので蜜柑を食べます。 言葉
2005年01月12日(父)
如何にも頭がすっきりしない。 空欄
2005年01月10日(母)
新聞配達の結果得た雀の涙を消費して手に入れた貧弱コレクションに久々に目を通しました。学生時代の物です。懐かしく想い数年ぶりにチャイコフスキーを聴く。雀の涙の割りには良い物に化けたと思います。過去を振り返り出すと止まらないのは怖ろしい事です。明日はモーツァルトにしよう。 弦楽
2005年01月09日(父)
トボトボと、はと。 徒歩
2005年01月06日(父)
本日より仕事再開。疲れてる筈なのに何だか異様に元気になってきました。妙な身体になってしまったものです。不意討ちで長期休暇してしまったのも原因かも知れません。くだらない日々も噛み締めれば多少の味は零れ出すみたいです。 跋扈
2005年01月05日(母)
ヴェルニー公園を散歩して来ました。明日から渋谷で仕事再開です。頑張るぞと想ったり程々にと想ったりする慌しい脳味噌を無視し、更にヴェルニーと小栗上野介忠順の銅像も無視してトボトボと歩いて来ました。もう暫くは耐え、引っ越しの目処がたった頃には全てを清算します。 慈姑
2005年01月04日(父)
「わが心の楽しさを思ひたまへ。産れん子は君に似て黒き瞳子をや待ちたらん。この瞳子。ああ、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせたまはじ」

朝から異常に気だるく鬱々としつつも部屋掃除をしておりました。こういう気分の時は森鴎外の『舞姫』を思い出します。初めて読んだのは高校時代。大好きでした。ただ、どうして好きなのかは分りませんでした。今になってやっと、少しだけ、分り出しました。

「ああ、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。」
「ああ、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。」
既望
2005年01月01日(父)
あけましておめでとうございます。ことしはあめやかぜにすこしまけつついきていこうかとおもいます。がしょう。 臥床